サン・ヴィターレ聖堂 Basilica di San Vitale 2


 

有名な「ユスティニアヌス帝と廷臣たち」のモザイク。

東ローマ皇帝ユスティニアヌスは527年に即位し、ペルシャ、ヴァンダル族、西ゴート族、東ゴート族など、数多くの外敵と度重なる戦いを経験し、一時的には旧西ローマ帝国の領土の一部を奪還しています。首都コンスタンティノポリスの聖ソフィア教会(ハギャ・ソフィア)を537年に建立するなど、教会の建設にも力を注ぎました。

実際には、ユスティニアヌスはサン・ヴィターレ聖堂の献堂式に参列することはかなわなかったのですが、このモザイク画には皇帝がミサの捧げ物として黄金の聖体皿を持って参列している姿が、荘厳かつ生き生きとした表情で描かれています。
皇帝の向かって右は実際に献堂した大司教マクシミリアヌス、その間の後方には教会の費用を負担したユリウス・アルゲンタリウスと言われています。

   

ユスティニアヌス帝のパネルの反対側には「皇妃テオドラと従者たち」が対になっています。

テオドラはコンスタンティノポリスで踊り子あるいは女優をしていたとも言われていますが、その魅力と知性によってユスティニアヌスにみそめられ、皇妃となってからは政治的にも大きな影響を与えたそうです。

ここではテオドラがミサの捧げ物である黄金の杯を手にサン・ヴィターレ聖堂に向かうところが描かれています。まばゆいばかりの装身具や刺繍の施された重々しいマントをまとう皇妃はもちろん、先導する2人の高官、皇妃に従う2人の貴婦人たちと一群の侍女たちの誰もが、きわめて荘厳な儀式のために豪華な衣装で盛装しています。
それぞれの人物たちの荘厳さに満ちた表情など、すべてが厳格で権威的な儀式にのっとって行われたビザンチン帝国宮廷の特徴を表しているとも言えましょう。

   

これは旧約聖書の「アブラハムのもてなしとイサクの犠牲」を色鮮やかに、しかしきわめてわかりやすく描いています。

   

 

こちらも旧約聖書の「アベルとメルキセデクの捧げ物」。中央には全能の神を表す「神の手」も見えます。

このように旧約聖書の有名なエピソードが、ほとんどが文盲だった当時の人々にも容易に理解できるようにわかりやすく描かれ、教会全体が壮大な「絵解き聖書」ともなっているのです。

 

全体にビザンチン美術の「華麗・荘厳」に圧倒されてしまいそうになりますが、柱や床にはこのような素朴でかわいらしいモザイクもあります。これはキリスト教以前の古代ローマ時代のモザイク装飾の流れも感じられ、ほほえましささえ感じられます。
   
歴史の表舞台から早々に忘れ去られ、北イタリアのひなびた街となってしまったラヴェンナですが、だからこそ5〜6世紀の貴重なモザイクがそのまま保存されているというのは、ありがたい歴史の皮肉ではないかと思います。
   

「サン・ヴィターレ聖堂・1」