サン・ヴィターレ聖堂 Basilica di San Vitale 1


 

紀元前3世紀からローマの支配下に入っていたラヴェンナは、紀元1世紀のアウグストゥス帝時代には帝国艦隊の重要な基地となっていました。
402年、ホノリウス帝が西ローマ帝国の首都とし、467年の西ローマ帝国崩壊後は493年にテオドリクスによって東ゴート王国の首都となり、さらに540年からは東ローマ帝国の総督府が置かれていました。

ビザンチン時代のモザイクは、東ローマ帝国で726年に発布された聖画像禁止令、いわゆるイコノクラズモと、イスラム教の影響により、本国の教会ではほとんど破壊されてしまいました。
しかし帝国を吹き荒れたイコノクラズモの嵐も北イタリアには及ばなかったため、結果的に5〜6世紀のモザイクがもっとも完全な形で現存しているのは、ここラヴェンナにおいてのみとなっています。

このような歴史的背景の結果、ビザンチン文化の影響を強く受けたラヴェンナは、757年にランゴバルト族の侵略を受けて衰退していくまでの間、その黄金時代を迎えます。

   

兵士ヴィターレが殉教した場所に、547年に大司教マクシミリアヌスにより完成したのがサン・ヴィターレ聖堂です。内部は八角形で、マトロネオという婦人用の2階席があります。 
   

後陣のドームのみごとなモザイクは「サン・ヴィターレと司教エクレシウスを両脇に従えるキリスト」です。
ヴェネツィアのサン・マルコ寺院やシチリアのモンレアーレ大聖堂などのように、全面が黄金で輝くモザイクとは違って、とにかく緑や青などの色彩が豊かなのがラヴェンナのビザンチン教会の特徴だといえましょう。
   

ビザンチン美術はどうしても具体的な絵に目を奪われてしまいますが、細部の装飾も忘れずに見たいものです。

この天井は、中央の神の子羊を4人の大天使が支えているデザインです。おそらく生命の木を表す蔓模様の中に魚、孔雀、羊など、キリスト教の象徴的な動物が描かれています。

   

 

一つ一つ違う装飾の円形のメダルの中には、キリストをはじめ、聖ヨハネ、聖バルトロメオ、聖マタイ、聖ペテロ、聖アンドレアなどの多くの聖人が、それぞれすべて違う表情で描かれています。

魚、鳥、花のほか、いろいろな装飾が緑や青、赤など本当に豊かな色彩で表現されているのを見ると、これが一つ一つ小さなテッセラ(ガラス片)を組み合わせ、気が遠くなるような作業の結果に出来上がったものだということを忘れてしまうほどです。

 

「サン・ヴィターレ聖堂・2」