サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会 1
Basilica Santa Maria Gloriosa dei Frari


サンタ・ルチア駅とリアルト橋の間のサン・ポーロ地区の最大の見所は、サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会です。

1225年にヴェネツィアにやってきたフランチェスコ会の修道士たちは、この地にサンタ・マリア・フラーリ教会(あるいはシンプルに「フラーリ教会」とも呼ばれていました。)を建築しましたが、この教会では清貧を旨とするフランチェスコ会の教えに共感してやってくる民衆をやがて収容しきれなくなりました。
そこで1330年ごろから現存のゴシック様式の教会の建築が始まり、約1世紀後の1420年ごろに完成し、1492年に被昇天の聖母に捧げられたサンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会となりました。

   

教会本堂の脇には高さ70mのロマネスクの鐘楼があります。これはサン・マルコ広場の鐘楼に次ぐ、ヴェネツィアでは2番目の高さです。1361年にヤコポ・チェレーガにより着工し、1396年に息子のピエル・パオロ・チェレーガが完成しました。
塔の頂上はサン・マルコの鐘楼と同じようにピラミッド型でしたが、1490年に落雷にあったため、現在のような多角形のものが取りつけられました。
ちなみに現在は、教会へは正面ファサードの扉からではなく、鐘楼の下に見える扉から聖ペトロ礼拝堂を経て入ります。

写真右は教会の後陣です。サン・ロッコ教会及びサン・ロッコ同信会の建物に囲まれた後陣の周辺は、ヴェネツィアでももっともきれいな一角のひとつです。

   

12本の円柱に支えられた堂々たる教会内部は、ラテン十字型の三廊式です。側廊には7つの礼拝堂があり、身廊の中央部には聖歌隊席があります。

教会内部にはたくさんの美術作品やモニュメントがあふれていますが、それぞれをゆっくりと鑑賞する前に、まずは身廊の中央部よりも手前側に立って主祭壇の方向を見ることをおすすめします。
すると、聖歌隊席のアーチに完璧に縁取られる形で、主祭壇にあるティッツィアーノ作の「聖母被昇天」の絵を目にすることができるからです。

   

写真中央が教会ファサード側の入り口です。

大きな円柱に隠れていますが、写真左側はティッツィアーノの廟墓です。アントニオ・カノーヴァの弟子たちにより、良質で有名なトスカーナ地方カッラーラの大理石を使って19世紀の新古典様式で造られました。
絵画・彫刻・芸術そして建築の寓意像がティッツィアーノの像を囲んだ形になっています。

 

18世紀末〜19世紀初頭にかけての彫刻家アントニオ・カノーヴァの記念碑。

カノーヴァの遺体は、亡くなった1822年に一旦その生地に運ばれました。
しかしヴェネツィアのアッカデミアの希望により、カノーヴァ自身がティツィアーノのために設計したこの記念碑内に、1827年にカノーヴァの心臓の入った壷が埋葬されました。

たくさんの寓意像で装飾されたピラミッド型の記念碑自体は、ティッツィアーノの記念碑同様、カノーヴァの弟子たちによって完成されました。

 

   

「サンタ・マリア・グロリオーサ・デイ・フラーリ教会・2」